キッチン

yayaだよ

愛に形はあるのか?


肉体は魂のいれものでしかなくてうんたらかんたら  というのは仏教だったかな。愛はいれものに注ぐもので、その入れ物の形が愛を具現化する唯一の方法だと思った。彼を見ててそう思う。もちろん私からの愛だけじゃなくて周りからの愛とか自己愛とかをたっぷり注がれた入れ物。それが彼である。
彼と会って、別れて、それぞれ仕事など別々の日常に戻ったとき、私は最大限に満たされたようなそれでいて身体が軽くなったような、からっぽのような、そんな気持になる。与えて与えられたからかなって思う。
私は自己愛の注ぎ方が足りないからか輪郭がぼやけた人生である。何となくここにいて、なんとなく生きてる。昨日、彼が人生をかけて打ち込んでいるものごとに対して「わたしの人生に置き換えるとそれってなにになるかな」と何気なくきいたら「君はなにもしてなくない?」といわれてちょっと切なかった。でも傷つかなかった。私も人生をかけて打ち込める何かに出会いたい。出会いたかった。半ば諦めの気持ちです。そんな彼はきっと私からの愛をそそがなくても輪郭のくっきりした人生を送っていけるのだろう。だから私のことは余暇にしてほしい。あってもなくてもいいけどあったら日常がちょっと彩度高め、みたいな、そんな存在で

うそですかけがえのないひとになれるようにがんばります  がんばってなれるもんじゃないかな  生きているうちにひとりだけのかけがえのないひとになってみたいもんです